2009年〜2012年
 PANDAKANDA



H21年
1月
 こんにちは奥田祐子です。2009年からHPに私の一言を載せることになりました。ひとり言?のうがき?ふりかえり?ニュ−ス?・・とにかくスタ−トです。
2009年1月のマイ・キ−ワ−ドは誕生
 アメリカも新しい大統領が誕生しましたが、ザ・わたしたちにもメンバ−の岡田敬子(おがちゃん)に男の子「太陽」が誕生しました。自分でもびっくりしたのですが携帯メ−ルに送られてくる太陽をながめては「かわいい」とニンマリ。
 関係者に会う度に相手の迷惑かえりみず嬉しげに見せています。えっ!これってまるで孫!?。オバマ氏は43代という歴史の先で大統領に、太陽は岡田家と小笠原家の歴史の先で太陽として産まれた。「いのちのすごさと重さ」に心が(脂肪ではありません)がふるえます。
 「いのちって何?」私の中の答えは聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生のことばです。「いのちとはその人が一生に使える時間のこと。だから使命と書く。
いのちは他人のために自分の時間を使った時に輝く」

とはいうものの仕事や活動ではすんなり腑に落ちるのに、子育てはそうは問屋がおろさない。節分に豆まきされそうな角を出しながらの毎日です。
(2009.1.22)
2月  こんにちは奥田祐子です。今月のひとり言?のうがき?ふりかえり?ニュ−ス?
2009年2月のマイ・キ−ワ−ドは「より多くの人へ」


 2月21日(土)〜22日(日)にかけて庄原市総領町で県北レクリエ−ション協会主催のふるさとコンサ−トが開催されました。1年間自分のフィ−ルドで創作した歌を持ち寄るコンテスト方式のオ−ルナイトコンサ−トです。ザ・わたしたちは毎年ゲストとして歌わせてもらったり、私は審査員もやらせてもらっています。

 今回初めて参加した人の中に歌唱賞に輝いた広島大学の学生さんで男女のユニットがおられました。これが息も声もぴったりで、オリジナル楽曲「揚げパンの歌」の虜になってしまいました。ところが、後からきいてびっくり。女性の方が中学生の時、広島市青少年センタ−主催のうたづくりセミナ−に参加したお一人だったのです。そのセミナ−はザ・わたしたちが作詞、作曲、CD録音とシリ−ズで担当した講座でした。帰宅して、当時のCDを聞き返しました。ジャケットの写真も歌い方も少女だった彼女がいました。何かのきっかけになったのかなと感慨ひとしおでした。
 このことがきっかけで、これまで、私は、ザ・わたしたちは「スモ−ルプレ−ヤ−でいい」と思っていたのですが、多くの人に届けていく努力も必要なのかなと思い始めました。
 多くの人に届けるというのは、数の多さが大切という意味ではなく、何かの力になることができる方に出逢える機会が増えるという意味です。
 ザ・わたしたちは人間賛歌を誰かに、そしてたくさんの人に届けることそのものが運動なのですから。

                                              (2009.2.25)
3月
 こんにちは奥田祐子です。今月のひとり言?のうがき?ふりかえり?ニュ−ス?
2009年3月のマイ・キ−ワ−ドは「伝統を受け継ぐ」
 3月20日(金)〜22日(日)にかけて庄原市総領町で県北レクリエ−ション協会40周年記念事業が開催されました。
 私もザ・わたしたちも県北レクリエ−ション協会との出逢いによって現在に至っています。「人間交流術紹介」「コンサ−ト」「歌づくり分科会」などいろいろな役割をもらって参加しました。

 県北レクリエ−ション協会は和田芳治さんを中心にしたカリスマ的運動によって全国にその名を知られました。関わった人たちは、レクリエ−ションの知識や技術を習得するという枠を超え、自分の人生をレクリエ−ト(再創造)しました。
 今回は和田さんの企画を元に若いスタッフが全てを仕切ってやった40周年でした。全てのスタッフが活き活きと創造性と輝きあふれて表や裏をやります。部屋だけでなくトイレまで、また、ティ−タイムや夜のバ−、屋台などの食すべてにもてなしがあふれています。外部のゲストも県北を刺激し、県北と刺激し合ったすごいメンバ−で、分科会は県北育ちのそれぞれの道を歩いているメンバ−が担当します。本当にすべてに質の高い空間でした。
 40年の歩みの中で「オリジナル」「手作り」「個性を活かす」「もてなす」「拍手をおくる」こだわってきたままが源流となって受け継がれていました。そのこだわりそのものが伝統ではないかと思いました。

 ザ・わたしたち25年間のこだわりは「人間賛歌をオリジナル」で届けること。例え、ザ・わたしたちがなくなってメンバ−一人ひとりの活動の形は変わってもそのこだわりは伝統となって受け継がれていくのかもしれません。


                          (2009.3.31)

 
4月
 こんにちは奥田祐子です。今月のひとり言?のうがき?ふりかえり?ニュ−ス?

2009年4月のマイ・キ−ワ−ドは
「やさしさ」


 毎年この時期に人間ドックを受けています。検査日の数日前から憂うつな気分に陥ります。その原因は「胃の内視鏡検査」そう「胃カメラ」。親族が3人も胃ガン経験者なので(叔父は胃ガンで亡くなっています)逃げ出す訳にもいかず、今年も受診しました。
 昨年は、前の順番の人が本当に苦しそうで相当な覚悟でいどんだのですが、割合すんなりといって「カメラの飲み方が上手」と看護師にほめられたので、「今年も」という気持ちと「そうは問屋がおろさない」という気持ちでいよいよ検査の暗いベッドへ。ところが、今年は昨年以上に楽に終わりました。
 何が今までと違ったのか?。実は付き添ってくれた看護師の言動でした。横たわる私にかけてくれる一言一言にいたわりの気持ちが伝わってくるのです。決定打は検査中私の背中をトントンと子どもをあやすようにやさしくたたいてもらったこと。とても安心できました。それだけでこんなにも楽になれるのかとびっくりしました。
 2年前は少しでも楽になりたくて鼻からカメラを入れるのにチャレンジしようとしましたが、麻酔処理時に痛くて断念しました。その時は看護師のきつい言葉と態度にびっくりした経験もあります。
「やさしさ」の本質を知った体験でした。

                          (2009.4.23)


7月
 
こんにちは奥田祐子です。今月のひとり言?のうがき?ふりかえり?ニュ−ス?

 2009年7月のマイ・キ−ワ−ドは

      「変わることなく変わり続ける」



 毎年呼んでいただいているコンサ−トの1つに7月の夏休み初めに行われる
世羅郡大見小学校の星空まつりがあります。
PTC(親・教師・在校生)プラス,卒業生・地域の方みんなで創り上げているお祭りです。企画や進行はもちろん、ポスタ−づくり、食べ物も全てみんなの手作り、みんな活き活きされています。その中でステ−ジだけが外部のわたしたちという光栄なポジションです。

 このお祭りの出発は、県北レクリエ−ション協会の田中一裕会長が、ザ・わたしたちの楽曲♪星の海に感動してくださって呼んでいただいた「星の海コンサ−ト」です。田中さんがわたしたちを呼んでくださった理由は、大見小学校の子どもたちが、毎年作文で鈴木三重吉賞に入賞されている伝統があり、「ことばの創作」という共通点があったからです。

 毎年開催される中で、コンサ−トを聴くだけという形から徐々に現在のような町内全員参画型のお祭りに進化していきました。1回きりの花火で終わらず、進化し続ける営みに改めて敬服します。
 お世話する役員も変わられる中で「全員が手作り一役の参画型」「創作活動という共通点を持つザ・わたしたち」という2点のこだわりは変えない、そのことにもすごさを感じます。

 大見小学校は2年後に学校統合が決まっています。例え、大見小学校という名前はなくなっても、大見小学校で培ったこんなステキな生き方はきっと子どもたちの中で生き続けるのでしょう。

                                           (H21.7.19)
8月
 こんにちは奥田祐子です。今月のひとり言?のうがき?ふりかえり?ニュ−ス?
2009年8月のマイ・キ−ワ−ドは
「毎日が力なり」

 広島市立幼稚園連盟主催の夏期研修2日目のラストのプログラムで2時間のコンサ−トをさせていただいた時のこと。幼稚園教諭140名、「いのち」をテ−マに練りに練ったプログラム・・・のはずだった。保育にも使える遊びをズラリとやった後1時間過ぎるはずだった・・・のに30分しか経っていない。これでは2時間どころか90分ももたないかもしれない。「わぁお−」プログラムを進めながら30分の穴埋めを考える、考える。

 これは、私の役割で今、決断できるのは私しかいない。メンバ−といても孤独な闘いだ。
 頭の中で「ザ・わたしたちで現在、できる曲」「いのちというコンセプトが活かせて、参加しておられる先生たちのためになるメニュ−」ぐるぐる回る、回る。「う〜〜〜」まずはジャンケン大会は敗者復活戦で「まだまだ足りない」次にラストはもう1曲増やして「文さん何がいいかね?」合間を縫ってコソコソ選曲会議。「でも、、、足りない」「じゃ−もう1曲は平和に関する曲を」「あっ、、、、あと10分は要る」・・・・「もう、メニュ−の増加は逆効果になる。破れかぶれ、私がしゃべるしかない」。そして理想的に10分前に無事終了したのでした。とにかく乗り切ってホッとしていたら主催者の先生からたくさんたくさんお褒めのことばをいただいり、メンバ−からもパンさんのMCがすごくよかったと言われニガ笑い。
 でも、その時思ったのです。これまでもいくつもハラハラしながら、その時その時できることを自分で決断して、精一杯乗り切ってきた。いろんな所でいろんなおしゃべりをしてきた。
 孤独だけど、自分で考えて決断してやってきた分、その毎日の経験が蓄積されて、今日の結果になったのだと。何も無いのに乗り切れるはずはない。当たり前だけど、積み重ねた量と質しか出てくるものはないと。その積み重ねこそがきっと乗り越えられる、いいものになるという自信を確実なものにできる唯一の方法なのだと。

 そして、また、今日、乗り切ったこの経験が大きく自分の中に積み重なっていくのだろう。

                                                   (H21.8.1)
9月
 こんにちは奥田祐子です。今月のひとり言?のうがき?ふりかえり?ニュ−ス?
 2009年9月のマイ・キ−ワ−ドは
      「継承(受けとめ発信していくこと)」
 今年の夏は「夏らしくない夏」と言われるように、気候も社会も晴天が少なく、湿度が高いジメジメ・どんよりした夏でした。

 私もいつも仕事に追われ、窮屈な毎日。
そんな夏に胸に灯ったひとつの出来事がありました。
 8月6日。原爆記念日に初めて子どもたちと平和公園へとうろう流しに行きました。被爆二世の(両親が原爆手帳を持っている)私は、幼い頃からいつも胸に原爆のことが存在していたように思います。先日、友人に逢って思い出したのですが、高校の時も原爆研究会というサ−クルに所属していました。

 きっと子どもたちは嫌がるだろうと思っていましたが、すんなり同行してくれました。とうろうにもそれぞれの平和へのメッセ−ジをきちんと書いて川に流していました。その後、慰霊碑だけには出向いて帰るつもりでしたが、ひょんなことから資料館にも行くことになりました。小学5年の息子は初めての入館です。私もやはり小学生の頃、資料館に行って、あまりの衝撃で何日もうなされたので、息子も原爆の本質より、怖さだけが残るのではないかとずっとためらっていたのです。「オレ行く」という息子に背中を押された感じで新しくなった資料館に入りました。何度も訪れたことがある私でしたが、やはり胸がしめつけらるようでした。子どもたちはというと、真剣にていねいに事実を見たり聞いたりしている様子でした。
 
帰り道、娘が息子に向かって「私たちはこうやって見るだけだけど、おばあちゃんはその日に広島にいて、においや煙りを体験しているんよ。そりゃ大変いうもんじゃないね」と言いました。彼女のその言葉は、胸にジ−ンとしみわたり、灯りが灯った感じがしました。

 帰宅してから子どもたちは「おばあちゃん大変じゃったね」と電話をかけていました。母は「ありがとう」と声を震わせていたようです。

「体験したことがない人間に本当のことは分からない」正論だと思います。
本当のことを100%としたら、1%にも満たないかもしれません。でも、私は、0%ではないことがとても大切なことだと思っています。
 私が私のやり方で平和をメッセ−ジしようと決意したのは、戦後60年近くたって母に被爆体験を聴こうとした時、ひとりだけ生き残った罪悪感を強く持ち続けていて「苦しいから話したくない」と申し訳なさそうに言った母の姿です。
8・6だけやっても」と批判する人もいるかもしれません。ですが、例え、365分の1としても平和について問いかける日となるなら、少なくても0ではないねと思うのです。
 私が私の受けとめ方で発信し、それを見た子どもたちは、子どもたちの受けとめ方で受けとめ、発信していく。それが継承というものではないかと思うのです。

                             (21.9.3)
10月
こんにちは奥田祐子です。今月のひとり言?のうがき?ふりかえり?ニュ−ス?
 2009年10月のマイ・キ−ワ−ドは
「海に浮かぶ島」

 この夏からザ・わたしたちでミニアルバムの製作をしてきました。その製作過程であらためて実感したことがあります。完成形である1枚のアルバム。そのアルバムを創っている見えない時間や想いや努力の大きさです。中でもレコ−ディング担当の山本憲昭が費やしている時間や想いや努力は生半可なものではありません。録音のための機材を揃え、前日からスタジオ入りし、セッティング。いざ、録音となれば、楽器別に録音して、音を重ね、カラオケ作り。ボ−カルがこれまたパ−ト別の歌入れをし、録音終了。その後全てのバランスを考えてミックスダウンします。最高の楽曲にするために何度も何度も聞いてやり直しながらの作業です。そんな彼自身は演奏でも歌でも形としては登場しません。けれど彼の存在なくしてアルバムは存在しないのです。


 正にアルバムは、海に浮かぶ島。目に見えている部分はほんのわずかで、それを支えているのは海の中の見えない部分です。
 広く豊かな島になるためには海中の見えない部分も大きくなければならない。わたしたちは、私たちなりに妥協をせず、よりよいものを届けることにこだわってきました。よりよいものを届けるにはそれと比例した時間と想いと努力の量が必要です。

 先日の敬老の日、甲田町の高齢者福祉施設でのコンサ−トの時も岡田敬子が一人で100本の手作りの花を作ってくれ、全員にプレゼントさせていただきました。高齢者の方は大変喜んでくださり、コンサ−トの満足度合いが大幅アップしたようです。

 このような「海に浮かぶ島」の考え方は、全てに当てはまるのではないでしょうか?

自分が何かをする時にどれだけの用意ができるかということと同時に、目に見える部分だけではなく、その下に隠れている部分や力を注いでいる人に気付け、感謝して大切にすることを忘れないでいたいと思います。
                                            (2009.10.2)
11月

 こんにちは奥田祐子です。今月のひとり言?のうがき?ふりかえり?ニュ−ス?
2009年11月のマイ・キ−ワ−ドは「リスク・マネジメント」

 確かに厚生労働省は新型インフルエンザの流行ピ−クを10月と予測していたのは知っていました。10月第3週から広島市を中心に急激に学校・学年・学級閉鎖が増加したものの私の家には影響なく、10月17日〜18日のチャレンジ体験スク−ルも無事終了してホッとしていた矢先、22日昼に突然娘が学校から帰宅。発熱です。「アッチャ−キタ−ツ」あっという間に状況は一変。新型インフルエンザの大波に飲み込まれてしまいました。週末には、ザ・わたしたちのメンバ−や家族からも発熱者が出て、急遽、練習が中止となり結成以来始めての事態となりました。そして、娘の治癒証明が出た26日から娘の高校は学年、息子の小学校は学級閉鎖になりました。週末まで、「どこにも出れない夏休み」という状態です。

 娘の発症に伴い、濃厚接触者である私も仕事先と連絡を取り、1週間全ての仕事をキャンセルしました。現在企業などでは、濃厚接触者の場合の対応は様々で、強制的に1週間休む〜マスク着用で出勤というところまで実にさまざまです。ところが、私のお客様は高齢者・障害者・大学生・子どもたちと感染したら命に関ったり、感染が広がったりする方ばかりなので神経質にならざる得ません。キャンセルした仕事先は合わせると11場所。中には1ケ月に1回の派遣先が3つもあり、自分は元気なのにと断腸の想いでした。

 けれど、それが「リスク・マネジメント」なのです。
リスク・マネジメントとは各種の危険による不測の損害を最小の費用で効果的に処理するための経営管理手法といわれています。最悪の結果にならないために事前に出来る限りの対策をとる。痛みは伴います。今回も施設や学校の関係者、対象者に迷惑をかけたり、それとは別に私のように出向いた回数が収入につながるという者にとっては経済的に大きな損失・・・・。

 
新型インフルエンザに対するリスク・マネジメントは手洗い・うがい・マスクの着用でしょう。予防接種が接種できれば、100%感染は防げなくとも社会的な意識は変わってくるはずです。私は帰宅したら徹底して手洗い・うがい・マスクの着用を子どもたちにも求めていました。娘は、私の目の届かない所では手を抜いていたようです。季節性インフルエンザの予防接種もクラブが休めないという理由で引き伸ばしていました。その結果大切にしているクラブ全体が試合に出場できない事態を招いてしまっています。今回、娘へは発症が自分もしんどいばかりか、まわりにもこんなに迷惑をかけたねと話しました。病気そのものは娘の責任ではないので厳しいかもしれませんが、結果は結果です。もちろん、出来る限りのリスク・マネジメントをしていても危険回避ができないことは確かにあります。けれど、リスク・マネジメントをしていたら少なくても何にも起こらなかったねと笑うことはあってもここまでやっていたのなら仕方なかったと後悔しなくていいでしょう。

 娘が発症して、あらためて、危険はあまりに身近に簡単に当たり前に自分の身にも起こることを実感しました。そして渦中にいると、大変なことと思いたくない自分がいる。この感覚は防衛本能かもしれませんが、ちょっと恐い気がします。

                         (H21.10.27)

12月
 こんにちは奥田祐子です。今月のひとり言?のうがき?ふりかえり?ニュ−ス?
2009年12月は手前味噌の話です。
 11月23日に結成25周年の
コンサ−ト「ありがとう」を開催しました。当日おこしくださったり、メッセ−ジやプレゼントを贈ってくださったり、スタッフをしてくださったりと本当にありがとうございました。

 開始前、星の海の作曲者でありプリントショップを経営している橘高久美さんからお祝いのオリジナルプリントの入ったエコバックが150以上届き、その気持ちに感動し、号泣してコンサ−トを迎えました。
 本番は、上手くいかないこともありましたが、私個人としては今までの中で最も納得した11・23コンサ−トになりました。

 その理由は25年をふりかえるだけに終わらず新しいザ・わたしたちを届けられたこと。
 25年のふりかえりを応援いただいている方からのリクエストに応えるという形にできたこと。メンバ−の成長で質の高い新しい作品が数多く出来たこと。それもあって目標とするプログラムを組み立てられたこと。があげられます。
 中でもアンコ−ル1曲目に選曲した♪十六夜の月は私が新しいザ・わたしたちを表現するには絶対必要な楽曲として詞を書き、原田文隆が作曲した作品です。「今までのザ・わたしたちにない」ということにこだわり、それを貫きました。原田文隆は私が最高の作曲者、プレ−ヤ−と認める人です。そんな文さんに今回は何度かNOを出しました。私のこだわりに対して、文さんは努力を惜しまず応えてくれました。あらためて「すごい人だなあ」と思った次第です。

 楽曲ではザ・わたしたちの新しい代表作になる予感の♪たいせつなものは(作曲:松本幸子)が生まれました。♪新しい記念日♪許しあってぼくらは♪イナゴライダ−と3曲もさまざまなタイプの作曲者として小田由美の才能がひかりました。紙芝居もヒロシマの表現作品も奥田祐子には出来ない作品で、お客様に認めてもらえるものが誕生しました。
 楽団もボ−カルもお客様何人から「また磨かれてプロみたいだね」と誉めていただきました。
 中本・岡田というメインボ−カルがコ−ラスアレンジに力を入れてくれ、藤葉・常本が自立してきたことによって、楽曲に合わせてメインボ−カルも選べる余裕ができました。
 月日を過ごしただけでなく、メンバ−ひとりひとりが積み重ねてきたという実感です。
 私はといえば、そんなメンバ−ひとりひとりが持っている力をちゃんとした形にして出せるプロデュ−スの面白さに目覚めた感があります。
 次はもっと無駄をそぎ落としてお客様が少しでも来てよかったと思っていただけるような内容にすること。100%の力が出せるよう200%の練習をすること。そして、どなたかの側に寄り添える楽曲をつくることをもっと大切にすること・・・・。進化し続けます。

 これからも、ザ・わたしたちをよろしくお願いします。
                         (H21.11.27)

 H22
1月

 明けましてあめでとうございます。奥田祐子です。今年もどうぞよろしくお願いします。新春初のひとり言?のうがき?ふりかえり?ニュ−ス?
2010年1月のマイ・キ−ワ−ドは「深化する」です。

 深化とは物事が深まること。深化することによって進化していく。11月23日のコンサ−ト以来、心に芽生えた想いです。「ぜい肉をそぎ落として芯の部分を磨いていく」そのためには時間が必要です。今年は11月23日に向けて昨年以上に意識した月日を重ねようと思います。
 昨年、勤務先が「元気になる遊びの会社」から「NPO法人わくわく元気舎」に変わりました。今まで2人でやっていたものが、常勤スタッフが現在5人、春からは6人に増えます。
 事務所もかなり広いスペ−スに構え、業務内容も
  @子どもの自然生活体験・アドベンチャ−事業
  A各種遊びの支援
  B高齢者の介護予防事業や福祉レクリエ−ション事業
  C高齢者・療養中の方のための訪問美容
と幅広く骨組みもしっかりしたものになりました。「子どもからお年寄りまでト−タルの遊びを支援できる全国に誇れるNPO法人に」と密かな野望を抱いています。

 その分、経営も大変です。人件費を含む経費もすごくかかります。また、6人のスタッフの内、理事長をはじめ4人は初めて一緒に仕事をする人たちです。慣れない事も多々あり、前途多難の船出という感はあります。
 ところが、なんかわくわくしています。今までになく、チ−ムで働いているという実感があります。今までにない刺激を4人からもらえたり、「私も頑張らんとつぶれてしまう」「もっといいものを提供して収益を上げる」とやる気になれています。収益を上げるという最もニガテな所にもチャレンジです。
 これって、多分、いい意味のストレスなんですよね。ザ・わたしたちに対しても、 「毎年変わらんね」とは絶対言われたくないという私のプライドがあります。だから頑張れるところもあるんです。そういう意味では深化して進化するためには、今の自分で軽く出来ることではなく少し高いハ−ドルの目標ってすごく大切だと感じます。

 今年1年もハラハラ・ドキドキして泣き笑いの年になりそうです。

                                              (平成22年 元旦)

=【NPO法人 わくわく元気舎】=
 〒732−0032 
  広島市東区上温品1丁目11番22号大町ビル101
   082−847−2507  FAX 082−847−2508
  e-mail info@wakuwaku-genkisha.com
  http://wakuwaku-genkisha.com/



  H22
2月
 

 奥田祐子です。ひとり言?のうがき?ふりかえり?ニュ−ス?

 2月のマイ・キ−ワ−ドは「まど・みちお」です。

 2月4日は立春でした。「春が立つ」と書いて「りっしゅん」。季節が立つなんてことは現実ではありませんが、響きも素敵ですし、言葉の美しさを感じずにはいられません。

 昨年の暮れ、久々に心動く出逢いがありました。その出逢いで、私の中で言葉にときめく感覚が鈍っていたと気付きました。心が動いたのは、御年100歳の現役詩人「まど・みちお」さんです。出逢いといってもテレビで何度か拝見しただけなのですが。
 まど・みちおさんは20代から詩作りを始め、25歳で北原白秋に認められ世に知られるようになり、1994年には、日本人として始めて世界最高の児童文学賞とされる「国際アンデルセン賞作家賞」を受賞されるなどその作品は高く評価されています。
 作品の中には、「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」「ふしぎなポケット」などたくさんの歌の詞もあります。昨年100歳を迎えられ、入院療養中の現在も毎日詩を書き続け、最近、100歳の新作詩集を発刊されました。

 私が、心動いたのは100歳で現役ということよりは、まど・まちおさんの人としての生きる姿勢・生き方そのものです。まどさんのインタビュ−の中からいくつか紹介します。

●ぼくの毎日は「?」と「!」で、新鮮な出逢いの連続。池の波紋を見ればどうし  て丸いのだろう。どうして同じではないのだろうとじっと見つめてしまう。それ  を書かずにはおられない。

●なぜってなぜいうんだろう。だからこそなぜなんだろう。不思議でないものは何  ひとつない

●「職業は?」と聞かれて・・・・「現在は体を治すことです。詩人は片手間。」

●「詩を書くことはどれくらい大切ですか?」と聞かれて・・・・「いのちほどで  はないけれどいのちの次に大事なもの」

●なぜいたたきますと手を合わせるのか?卵は、ひよこになるはずだった。いのち  そのままをぼくはいただいている。誰も見てないけど、神様が見ておられる。

●反戦詩を書かれていますが、その動機は正義ではなく、戦争中、戦争バンザイと  いう詩を書いて多くの若者の背中を押してしまったという懺悔から。誰に責めら  れる訳ではなく,ぼくがぼくを許せない。

●気になることは前と同じものを書いてはいないかということ。

●考えたことや言ったこととやったことが違っていないか、本当に考えたことなの  か、口先だけになっていないかといつも自分に問いかける。

簡単にこれはこうだとは決めつけられない。ひとつのものにもいろいろな性質が  あるのだから。


  
折りしも、友人の富永美香さんからこんなハガキが届きました。「祖父の喪中につき、お年始の挨拶をご遠慮させていただきます。大きいじいちゃんの話になるとみんなに笑いがあふれます。」すごい先人たち・・・・脱帽です。

                        (H22.2.7)

   H22
3月

    奥田祐子です。ひとり言?のうがき?ふりかえり?ニュ−ス?
  3月のマイ・キ−ワ−ドは「自分への挑戦」です。

  バンク−バ−五輪が終わりました。「参加することに意義がある」という精神は今や 「金メダルをとることに意味がある」に変わってきているのだと再認識した大会でした。考えてみれば、メダルがとれなかったと言われても、例えば入賞といえば世界のベスト 10以内。
  世界の人口68億5122万2760人のトップ10人。そうしてみれば,オリンピックに出るというだけでもすごい訳です。それでも4位や5位の選手がくやし涙を流す。ましてや3位や2位の選手までも。NO1とそれ以外では大きな差があるのでしょう。それは正に自分に出来ることが本番で100%できなかったことへの涙です。

  フィギアスケ−トの高橋大輔選手のフリ−の演技には深い感銘と共感を受けました。高橋選手はゴ−ルドメダルを手にするために4回転ジャンプに挑戦して、転倒しました。結果は3位です。そして、ゴ−ルドメダルを手にしたのは、4回転を飛ばないことを選択した選手です。男子で4回転というのは大きなハ−ドルです。しかし、世界の中では手に届かない技ではありません。高橋選手の100発100中ではないにしろ、ほぼ手中にある技です。
  高橋選手には、ゴ−ルドメダルという目標達成のためだけなら、4回転を跳ばず、他の全てをパ−フェクトにするという選択もあったと思います。けれど、彼は4回転を跳ぶことを選択した。そこには、五輪は最後という彼の決意があり、4回転を跳ばないまま五輪を終えることはできないという彼の強い心意気を感じました。もし、私なら・・・・と思うと私もリスクある4回転という選択をしたと思います。高橋選手がリスクの高い4回転を選択できたのは、ミスとなってもミスをカバ−できる他の高い技術の裏づけがあります。そこにすごさを超えたすごさを感じるのです。

  ショ−トトラックの田畑真紀選手の所属するダイチという会社は社員40人の中小企業です。現在の会長と社長2代で五輪選手2名を含むスケ−ト部を支えています。不況の中でも廃部せず、支援し続けてきたし、これからも支援し続けると名言されています。資金は役員報酬を半額にして捻出しているとのこと。「どうしてそこまでいできるのか」というインタビュ−に社長は「何ともいいようがないが、意地でしょうか」と明るく応えておられました。気合いを感じます。志ともいうのでしょうか。今回は近差で銀メダル。このメダルは選手の頑張りはもちろんサポ−トしている人全てのメダルなのでしょう。そういう意味では、やはり、4位5位ではなくメダルというのは大きな意味があります。

  世界レベルというのとは比較もできませんが、私も私のライフワ−クである仕事や活動の中で「これで満足」ではなく「現在の自分に挑戦する姿勢」は常に持ち続けたいと常に思っています。
 先日庄原市総領町で行われた1年間で作ったオリジナルソングを持ち寄りコンテストをす「ふるさとコンサ−ト」。30周年の歩みをかみしめておられた和田芳治さん。感激の涙は創立し、30年育て続けてこられた和田さんだけに許されたご褒美なのかもしれません。私はふるさとコンサ−トにゲストで呼び続けていただけるよう、「1年間創作した楽曲でコンサ−トをする」という目標をこれからも達成していきたいと再確認しました。
                                         (H22.3.3)
    H22
4月
 
 奥田祐子です。ひとり言?のうがき?ふりかえり?ニュ−ス?

 4月のマイ・キ−ワ−ドは「辛いことを超えて手にいれたもの」です。

 
3月20日〜3日間、呉市倉橋町の廃校で子どもたちのキャンプをしました。慣れない場所と初めて組むスタッフの上、大嵐で寒い。私は食事にかかりきり。帰りもバスのトラブルがあり、おおもめにもめて・・・・・と久々に心身ともキツイキャンプでした。
 ところが、帰宅して数日、キャンプ好きだなあ・・・としみじみ感じている自分を発見しました。20数年前、当時、深安郡(現福山市)の神辺町に須田塾という塾があり、三原沖の細島という小さな島で子どもたちのキャンプがあり、初めてグル−プスタッフを体験しました。当時の自分の本気で参加していた子どもの頬をたたいたという苦い経験をしたキャンプです。一時帰宅して、仕事をしながら気持ちは細島に飛んでいました。会社の窓から青空を見上げて「細島に帰りたいなぁ」強く思った記憶が鮮明に残っています。あの時の感覚が甦りました。「私、やっぱり子どもたちとのキャンプ大好きだわぁ」新しい感覚でした。

 3月28日は徳島市で重度の障がいをお持ちの方たちのネットワ−クに招いていただいてのコンサ−トでした。主催者の方と何度も何度もプログラムの打ち合わせを重ね、主催者の方の譲れないものとわたしたちとして譲れないものが対立して、一時険悪なム−ドにさえなりました。コンサ−トでは初めての体験です。それを超えて当日のコンサ−ト。主催者にも来られたお客様にも大変喜んでいただけたコンサ−トになりました。お互いに譲れないものを大切にしてこだわった結果だと改めて感じました。

 この3月で高齢者のグル−プホ−ム5ケ所の仕事を卒業しました。仕事の営業的な面からは仕方ない選択でしたが、数年間おつきあいをした利用者の方々との別れが辛くて断腸の想いでした。利用者の方も絶句されたり、涙ぐまれたり、残念がられたりされて余計辛さが増しました。もう二度とお目にかかれないと思うと声がつまり、胸がはりさけそうになりました。この仕事を卒業すると経営的な面でも収入も減り大変です。

 けれど、実は、仕事をしながらずっと閉塞感がありました。もっと福祉レクリエ−ションのスキルを磨きたいし、他のアプロ−チも構築したい。毎週5ケ所と他の契約している施設に行くとほぼ1日が過ぎていきます。事務所に顔を出すことさえままならないし、仕事の準備や記録や他の仕事は深夜や早朝になります。遣り残したことも多く、毎日ギリギリという感じでもありました。「ひとつひとつもっと丁寧にじっくり質のいい仕事をしたい」そう思うようになっていました。

 4月から時間がとれるようになって次のステップに迎えるという期待感で一杯です。あんなに辛い別れと引き換えに手に入れた時間なので無駄にはできないチャンスにすると強い気持ちでいます。

 少なくても生まれてから今日までの時間と比べるとこれからの時間が断然短いのです。
 納得する生き方ができるよう、これ以上の頑張りが必要です。

                                     (H22.4.1)
  H22
10月
 
お久しふりです。奥田祐子です。

10月のマイ・キ−ワ−ドは「♪入道雲」

♪ごらん入道雲だ 今年も夏を迎えられた
 また少し背が伸びたお前 今だから伝えておきたい。
  ・・・・・・どんなことがあっても、生きることだけは、忘れないでほしい♪


 今年の夏はこの歌をよく口づさみました。小学6年生の息子が私の背を抜かすようになったからです。
 この歌詞を作詞した頃は、私はまだ子どもがいませんでした。
 当時、三次市の平田観光農園で毎年実施していたぶどうの山フェスティバルというファミリ−キャンプ。高原から見た入道雲の雄大さとファミリ−キャンプに来られるお父さんがダブって「父と息子」というテ−マで書きたくなって作ったものです。
 あれから20年以上が過ぎて自分が息子に同じような想いを抱くようになるとは・・・とても不思議な気がします。
 ザ・わたしたちでこの曲を歌っていたのは今村憲冶。通称ケンちゃん。当時彼はこう記しています。「親として子どもに残したいものはなんだろう」。
 そのケンちゃんは2人の子どもの父親になって間もなく数年前に亡くなりました。
 そして、先日、この曲の作曲者である大谷幸雄さんが亡くなっていたことを知りました。
 わたしたちは大谷さんのことをチョンさんという愛称で呼んでいました。
 ずっと疎遠になっていたので、今年、この曲を口づさむ度に元気ならいいなぁ・・・と思っていた矢先でした。そういう意味で「エッ!」という突然の驚きより「もしかしたらチョンさんが知らせてくれていたのかなぁ」という気持ちが大きかったのが事実です。
 ♪入道雲はチョンさんに作曲をしてもらった唯一の楽曲となりました。
 歌うたびに嬉しそうにギタ−を弾いていたチョンさんと想いを込めて熱く歌っていたケンちゃんの姿がいつも浮かんできます。
 これから、また、大切に歌っていくからね・・・・・合掌

                                         (2010.10.4)

   H22
11月
 
 10月29日仕事で北広島町に向かったら山々が紅葉していました。あまりの美しさにうっとり。やはり日本はいいなあ・・・と感じている奥田祐子です。
  11月のマイ・キ−ワ−ドは「継続の力

 このところ、ちょっと手ごわいコンサ−トが何箇所か続きました。
 おしゃべりが必要だったり、お客様がやややんちゃだったり。
 ひとつは、子どもの教育に関わる仕事をされている大人の方ばかりのコンサ−ト。
 終わって、参加されていた方がこんな2つのことを言ってくださいました。
 「奥田祐子さんという看板だったけど、演奏される人ひとりひとりの個性がすごく伝わってきてひとりひとりが役割を果たしている。それもバラバラではなく、質の高いチ−ムワ−クになっている」「演奏する人たちと会場のみんなとの相乗効果ですごい空間になっていた。それはこの場面だけではなく、これまでの奥田さんたちの歩みの中で培われてきたパワ−がベ−スになっている」
 もうひとつは小学校のPTC主催のコンサ−ト。全校生徒と保護者と先生とでやんちゃな子どもたちもいて・・・なのですが、私は全く平気。聞いて欲しい時は聞いて欲しいと言うし伝えたいことは伝えていくし。それはきっと、「自分に出来ることの限界」がわかったから。
 限界というのはあきらめている訳でも、卑下している訳でもなく、「自分に出来ることの力」を知ったということです。「自分に出来ることの力」の中で最も大きいのは「何が起こっても逃げないで立ち向かうという覚悟」それと「絶対わかり合えるという確信」でしょうか。
 これはチャレンジ体験スク−ルでさまざまな子どもたちと出逢ったおかげです。そして、核はブレない。受け取り方はお客様の自由だけれど、目の前のお客様にとって一番いいと思えるプログラムを一番いいと思えるやり方で届ける。もちろんそれは「自分に出来ることの限界」の中ですけれど。

 そういえば、庄原市比和町のもぐら博物館の歌、来年3月に閉校となる世羅郡世羅町の大見小学校の子どもたちのありがとう大見小学校と、気持ちやことばを取材して、作詞させていただくというのが続きましたが、あまり時間をかけないでも納得した形にできるようになったと思っています。正に「継続の力」でしょう。
                                         (2010.11.3)
    H22
12月
 
12月のマイ・キ−ワ−ドは
「残るもの」

11月23日(火)
 SONG゛Sエ−ルコンサ−トが終わりました。いろいろなエ−ルをいただいて本当にありがとうございました。不謹慎かもしれませんが、やっていてめちゃめちゃ楽しかったです。ハプニングも続発の3時間でしたが、そのハプニングも楽しめる自分を発見しました。いただいたアンケ−トの中に「先日行ったドリカムより良かった」という一文もあり、更にエ−ルをいただきました。1年に1回の大きな主催コンサ−トです。1年の歩みを形にして皆さんに届けられる絶好のチャンスです。コンサ−トが近づくにつれ、気がついたことがありました。1年の歩みを形にしていくけど、本当は26年だなって・・・・。
 26年ふくらませてきたものがあり、ふくらませてもらったものがあり、その最前列に今年が立っている。選曲もそうですが、新曲も26年の上に乗っかった1曲なのです。
 ステ−ジで歌う楽曲1曲1曲。私がいなくなってもこの楽曲たちは残っています。その歌歌は1度もマスコミに流れることはないかもしれません。しかし、その中のいくつかはどなたかの心の中にひっそり生き続けているのです。奥田祐子という名前は残らなくても、歌が歌としていのちを持ち続けるのです。私の想いを伝えるものがあるなんてなんて素敵なんだろう。としみじみかみしめました。

11月29日(月)
 和田芳治さんの出版記念パ−ティ&生前葬&ご夫妻の結婚40年目のお祝いの会に列席しました。和田さんの講演もあり、列席者も和田さんに弔辞を贈る会でした。和田さんたちが応援されている葬儀場、風の里ホ−ルのコンセプトは「想伝想祭」。ご遺族や近親者の笑い声が響く葬儀を目指していると聞きました。その中で最も心に残ったのは奥さんの和子さんが着ておられた着物。和田さんの亡くなったお母さんの着物だそうで、「義母も喜んでいると思う」と挨拶された時は胸が熱くなりました。記念の日のお祝いに亡くなった義母のお召し物を選ばれる和子さんに感動しました。想いは想うだけでは残りません。きっと想いを何かの形にすることが必要なのです。それは言葉でもいい、何か物でもいい。坂本竜馬のような生き様でもいい。ちなみに私も竜馬ファンの一人ですが、私が竜馬に惹かれる理由は、大政奉還という徳川家も傷つけない形を模索したこと、新政府の役職を藩や現在の役職からではなく、幅広い考え方で選出し、その中には幕府の大名も含まれていたこと、その中に自分の名前を入れていないこと。などがあげられます。
 私たちのいのちには限りがあるけど、想いが形になると生き続ける。そういえば、サザエさんもちびまるこちゃんもそうですよね・・・・・。
                             (2010.12.3)

     H23
1月
 

 2011年1月のマイ・キ−ワ−ドは「幸せ」
 あけましておめでとうございます。私は12月30日からお休みだったのですが、31日まで大大大掃除(という位片付けました)をしました。ゴミ袋20袋、積み重ねた本や雑誌も山のよう・・・この狭いスペ−スのどこにこんなに物・・・がという変な驚きでした。
 元旦、大掃除で出た物のようにいつのまにか心にススが溜まらないようにしようと早朝からウォ−キングし、氏神様2社に初詣をしました。
 おかげさまでとてもすっきりさわやかな年明けを迎えています。
 昨年末に私の体験学習の師匠である三宝裕さんから1枚の額をいただきました。書かれていた文字は「人を幸せにするために君の仕事はあるのです」正に目からウロコでした。
 年末、TBSのニュ−ス番組で「本当の豊かさとは」という特集をやっていました。その中でも役割があること・居場所があること、その居場所に人が居ること、つまり人間関係、人と人のつながりが大きなキ−ワ−ドと伝えていました。
 私が求めているものはこれだ!と思いました。そこで年賀状にはこう使わせてもらいました。


 私の仕事もザ・わたしたちの活動も原点にはレクリエ−ションがあります。楽しいことをしながら人と人をつなげ、人に喜んでいただく。レクリエ−ションにはその力があります。
 今年の仕事のテ−マは「笑い」。全ては人に幸せになっていただくため。
 ザ・わたしたちの活動は1月8日・9日の歌づくりセミナ−が活動初め。
 参加してくださった方、スタッフがいい1年になりそうと思っていただけるよう、さあスタ−トです。


(2011.1.6)

   H23
1月
そのA
 


 歌と歌を使ったオリジナル作品づくり
「レクソングセミナ−」の意義
 今年もザ・わたしたちの年初めは創作セミナ−から始まりました。
 じっくり歌を創る人・歌と絵本を創る人・歌とパネルシアタ−を創る人。全てオリジナルに挑戦する。今年は16作品が誕生。レクソングセミナ−を終えてその意義について確信したことをまとめてみました。

 レクソングセミナ−は人が成長できる全国で類を見ない研修を超えたオリジナル研修である

その理由は次の5点
(1)自己発見をベ−スにしている
 自己成長するために最も基本となるのは自分を知ること。
 そのために2つのワ−クを取り入れている
  @誰に向かって自分のどんな考えや気持ちを作品にするのかを探ること。
  A探ったものを表現する的確な言葉を見つけ、歌詞にすること。

(2)人間交流しながら自己を育てる
 「
人の間と書いて人間」その字が示すように人は他人と関わって人間になる。

 自己成長は自分一人では限られてくる。他人と交流することにより、気づきも深まり広がる。自分一人で創作するのではなく、創作のそれぞれのプロセスで他人と関わりながら作品が完成する
  ・考えや気持ちを探る段階で自分の考えや気持ちを他人とわかちあう
  ・作詞段階でスタッフのアドバイスをもらう
 ・作曲段階で他人に作曲してもらう
 ・完成した歌に絵本やパネルをスタッフと創作する
 ・発表段階で楽団(コ−ラスも含め)演奏し、アレンジしてもらう
 ・発表段階でメンバ−同士が応援し合う

(3)成果物が見える
 歌はMDやテ−プ、また、絵本、パネルシアタ−という形ある成果が手にできる。
 創作しただけで終わらず、その成果物を日常の現場で使ったり、歌として届けたりと次のアクションにつながっていく。

(4)完全なオリジナル作品であること
 全てオリジナルを作り上げたという充実感と達成感が自信になる。

(5) スタッフが達人で気持ちある人の集まりであること
 作詞・作曲・絵本づくり・パネルシアタ−づくり・音響・事務局・食事すべてのスタッフが達人であり、気持ちある人であること。こんな集合体はそんなにいない。


次の課題
このセミナ−を少しでも社会に発信し、参加してもらうチャンスを広げ、参加してもらう
                                    (2011.1.17)

    H23
2月
 
2011年2月のマイ・キ−ワ−ドは「成長」

 2010年度チャレンジ体験スク−ルの5月から始まった活動が1月30日羽立ちのつどいで修了しました。小学生〜高校生80名がお家の人の前でさまざまなパフォ−マンスを発表します。自分が身につけた技術・自分の気持ちや考えをたくさんの人の前で発表するのです。小学6年生〜高校生のサブリ−ダ−は司会とゲ−ム指導もします。また、班のスタッフである大学生と社会人のリ−ダ−20名も関わってきた子どもたちの羽立ちを祝ってこの日のために時間をかけて準備し、パフォ−マンスを贈ります。

 この日,2つの出来事がありました。雰囲気や空気感、そして発表がしんどくなったひとりの子どもが突然会場を飛び出して所在が不明になったのです。もう何年ものつきあいのある子どもで、初めに来た時は自分の興味のあることがあると突発的に飛び出すため、常にスタッフの見守りが必要でした。年々、飛び出すけど帰ってと声をかけると帰ってくるようになり、行く前に行くからと報告に来るようになり、じっとすることも出来るようになっていました。そのプロセスを見てきた私は、「建物からは絶対外には出ていない」という確信がありました。念のため、外に捜索に行くスタッフもいて、これでいなければ警察へと思った矢先受付の後のドアの陰にいるその子を発見しました。どうやら大騒ぎになっていて出るに出れなくなっていたらしいのです。思わずスタッフが彼を次々と抱きしめて涙ぐむ姿がありました。怒るとか叱るというのはちょっと余裕がある時なんだと実感しながらもやっぱり建物からは出ていなかったとちょっと嬉しくもなりました。
 もう1つの出来事はスピ−チ発表の時、恥ずかしいと突然発表出来ない子どもがいました。その場で説得してもダメで、後から発表しますとコメントして、舞台ソデでその子と話をしました。その時私の中では、「あきらめさずやり遂げさせる」「この子なら大丈夫」という2つの強い思いがありました。いろいろ話をしてみると恥ずかしいという気持ちの一番の要因はスピ−チの内容に納得していないということがわかり、急遽原稿をその場で一緒に作り直し、発表ができました。発表し終えたその子をすごいと思わず抱きしめていました。羽立ちのつどいで頑張る子どもやリ−ダ−の姿を見ながら、成長について考えさせられました。人が成長するには、今の自分を超える努力ができる場と成果を発表できる場が必要です。成長には、人からの拍手は欠かせないのだと再認識しました。そして、新発見は、支援者の最も大切なことは子どもの力を信じきれる確信が持てるか、そのプロセスを重ねているかということです。自分が直接何かをして人から拍手がもらえる喜びは何にも勝る喜びです。それ以上に自分が関わった人が成長していく姿を見れるのは、もっと大きな喜びがあります。その喜びを知った私は、自分がこれ以上やっても役に立てないと思う日までチャレンジ体験スク−ルをやり続けていくのだろうと思います。
                                           (H23.2.6)


    H23
3月
 
2011年3月のマイ・キ−ワ−ドは「つながり」

 2月5日にあいあいプラザという場所でサロンコンサ−トをやらせていただいた。あいあいプラザは公民館のような感じで地域のいろいろな方が活用されている場所だ。実は私は月1回中高年の方を対象とした介護予防の健康教室を担当させてもらっている。当日、お客様が少ないかもと思っていたら、健康教室の生徒さんが何人も来てくださって大盛況。
後日の健康教室でもコンサ−トの話題はもちきりで、その時ひとりの生徒さんが「奥田先生は幸せな生き方をしている。いろいろな職業・年齢の人とひとつの活動ができていることが素晴らしい」といってくださった。
その時歌った「♪私の生命が」を気に入った方がおられて後日CDを求められた。何と、ご自分の葬儀の際使いたいのだという。その話を聞いて身震いした。何と、私たちは幸せなことか。

 2月19日のふるさとコンサ−ト。68曲のエントリ−の中でザ・わたしたちの♪あの歌が「遊び歌を超えたお金になる作品」と絶賛を受けグランプリに輝いた。作者であり表現者でもある間優子から届いたありがとうハガキには「この賞がとれたのは私一人の力ではないことはわかっています。製作も演じ方もパンさんがいろいろアドバイスしてくれて出来た作品です。この賞に恥じないよう、また、パンさんにも返せるよう精進して頑張っていきます。」と書かれていた。私が果たした役割など小さいもの。でも、こんなことを思える間優子に感動したし、仲間として誇らしいと思った。

 2月27日は世羅郡大見小学校閉校イベント。私は1年間、地元の実行委員の人とこのイベントを企画させていただいた。田中一裕さんからお声をかけてもらって星の海コンサ−ト、星空まつりと20年のおつきあいがあってからこそだ。全体のプログラムはもちろん、在校生と歌を作ったり、群読やパワ−ポイント、MC原稿を作らせていただいたり、何度も世羅町へ車を走らせたり。当日は、田中一裕さんが司会、ザ・わたしたちの生演奏で、小学校に関わった老若男女の人々が主役になれる閉校イベントとして終えることができた。みんな泣いてみんな笑った。閉校イベントなのに、私の中では、この20年の中で地域や学校の方と最も深いつながりが出来た、閉じるとは真逆の充実感あふれる時間になった。その夜の地元の打ち上げの時、「心に残る、最高に感動したイベントになった」「20年よくつきあってもらった」という私たちに感謝の言葉をたくさんもらったようだ。それを聞いて私は思った。「20年よくつきあってもらった」のは私たちの方です。出逢いに感謝なのは私たちの方です。本当に大切な素敵な場に関わらせていただいてありがとうございました。と・・・・。
                              
           (H23.3.2)

  H23
4月
 

東日本大震災から
♪この地上に一人でも飢えている人がいる限り私たちの食事はどこかおいしくはないでしょう
笠木透さんの♪一粒の麦をの歌詞の一節だ。
何をしていても心が晴れない。何をしていても申し訳ない気がする。私たちだけが元気なこと、手にしている平常の生活への後ろめたさ。3月11日東日本大震災からの毎日はそんな日々だった。募金箱を見ると何度も1000円札を入れた。物資を送った。もっと何かしなくては・・・悶々とした。

元気でいること
大震災から2日後の13日阪神淡路大震災の時ボランティアセンタ−で4年間活動されていた方に話を聞く事ができた。被災していない地域の人が心配したり痛みを共有しようとする気持ちは大切、けれどみんなで落ち込むのではなく、心身ともに元気でいることも大切。被災した人たちが助けてといったら助けられるためには心身共に元気でないと助けることはできない。その日は必ずくる。だから元気でいましょう。という話だった。元気でいよう。自分の生活も東北へも出来ることをやろう。と決心した。

♪生かされているいのち
春の高校野球の開会式の選手宣誓に感動した。高校生が自分のことばで今を語っていた。
ただ一つ「生かされているいのち」ということばに心が痛んだ。選手の責任ではない。その朝、ニュ−スで津波で3人の子どもを一度に失くされたご両親が亡くなった子どもたちの生きた証が一つでも欲しいと毎日形もない小学校に通っておられる姿を見た。1年生の女の子はまだ発見されていなかった。3月11日、私はキャンプの買い物に100円ショップに行っていた。移動の車の中でラジオで第一報を聞いた。その時、同じ空の下では2万人以上のいのちが一瞬にして奪われのだ。ひとりひとりのいのちは生かされないいのちだったのか。「生かされているいのち・・・このことばは違う」体が震えた。

♪自分にできること
ケロポンズの平田明子さんから放射能が心配で子どもを連れて一時帰広していると電話がかかった。東京でも子連れで外で長時間出かけるという姿がみれなくなっているという。わずかの滞在中被災地で子どものために使ってくれる義捐金のためのチェリティ-ライブをやりたいという相談だった。あっという間にスケジュ−ルが埋まり、各地でケロボンズの30分コンサ−トが実施され募金が集まった。モノだけの支援で止まっている自分が恥ずかしくなった

♪ボランティアのボランティア
森メイトの山本恵由美さんからの一言。直接被災地への義捐金も大切だけど、ボランティアに行くための資金も必要。交通費、宿泊、食費。お金が十分ある人しかできないボランティアでは限界がある。ボランティアを支える資金も必要。全く気付いていなかった。その通りだと納得した。

♪がんばりましょう
「頑張ってください」ではなく「共に頑張りましょう」「被災地のみなさんはここまで頑張られたのだから今度頑張るのは私たち。」日本中がそう思っているのを感じる。名前も誰とはわからないけど、確かに苦しんでいる人がいることが実感できて、一緒に乗り越えようと強く思っている。大きな困難に直面して日本は自分たちで日本に生きる誇りと自信を取り戻せるのかもしれない。すごく悲しいけど大きな光を感じる

つながる
4月17日午後2時46分全国で一斉に支援コンサ−トをやることになった。山形県在住の農業をしながら歌っている須貝智郎さんの呼びかけで、2日間で会場決定までこぎつけた。物だけではない行動、まずはこのコンサ−トから。

須貝さんとは年賀状の交換程度のつきあい。今回のことですごくつながることができた。だからこのコンサ−トは身内だけではなく、可能な限りいろいろな人に声をかけて歌って頂きたいと思っている。ここからまた、つながっていけるように。

♪どん底にいる時に歌はいらない。でも立ち上がる時歌は力をくれる
友人の橘高久美さんのことば。私の力を精一杯使いたい。
                                                          (2011.4.5)

  H23
5月
 

つなが

東日本大震災被災者支援全国一斉コンサ−ト

4月17日広島市安佐北区可部町のNPO法人が経営されている古民家カフェ・コミュニュニティスペ−ス可笑屋さんをお借りして地震発生時間の14:46に全国で一斉に歌って東日本を応援しようというコンサ−トを実施した。可笑屋さんは場所を無料の上おむすびと味噌汁まで提供してくださった。参加ア−ティストはザ・わたしたちを含め8組、日頃から交流のあるG作実や佐々木愛子も遠くからかけつけてくれた。他の5組は初めてジョイントしたり出逢ったりした方々だった。参加者も予想をはるかに上回る90名。終わった後も日に日に心が温まるコンサ−トになった。

つながる

このコンサ−トの発起人は山形県在住のお百姓シンガ−の須貝智郎さん。年賀状くらいのつきあいだった人だ。開催の2週間前に呼びかけのFAXが届いた。全国で同じ時間歌でつながる。是非やりたいと思った。このことがなかったらたぶん須貝さんとも一生年賀状で終わっていた。可笑屋さんの三島さんとも、新しく出逢えたア−ティストの方々とも、そして古くから面識はあるけどジョイント出来てなかった山上茂典ともつながれなかった。大震災は未曾有のたくさんのものを奪った。奪われてしまったものにかわるものなどあるはずはない。だからこそ、小さくても何かを生み出していきたい。

仲間

やりたいと思ってすぐ、ザ・わたしたちの原田に相談した。すぐやろうと言ってくれて出演ア−ティストの笑夢人の堀内さんと私以上に本気になって準備してくれた。堀内さんは出張を伸ばしてまで賛同してくださった。支援コンサ−トだからこそ身内だけではなくいろんな人と歌いたいと願い、仲間から紹介してもらってア−ティストに出演してもらえた。参加を呼びかけてくれた仲間、来てくれた仲間、何かを用意してくれた仲間・・・・。ザ・わたしたちのメンバ−は急遽決定したにも関わらず応援してくれた。例え、参加者がいなくてもザ・わたしたちのメンバ−がいてくれる。仲間ってすごい。

笑顔の力

支援コンサ−トをやりたい。その想いは、福島で津波被害にあい、現在広島に住んでおられる高田さんの存在が大きい。この話がある前、ひろしまレクリエ−ション協会の鍋島会長から高田さんのことを聞いていた。高田さんも福島でレク協会に所属し、広島の全国大会にも参加されていたという。私の笑顔が浮かんで、広島に行こうと決めたと言う。できるだけ自分の事は自分でする。広島でも積極的に生きておられる。その姿は本当にステキだ。

ヒロシマの力

高田さんはこうも話された。広島の人は温かい。そう、私たちは65年前に原爆が落とされた地で生き続けている。100年も草木も生えないだろうといわれた地で原爆を乗り越えてきたいのちを引き継いでいる。ヒロシマだから発信できることかある。そう確信している。

♪ぼくたちは           

ほくたちは知ったんだ。悲しみはわかちあえること・・・・いろんな気持ちを込めて作詞した。松本幸子が伝わるメロディ−にこだわって大切に曲をつけてくれた。自分なりに作って歌ってきた26年。初めていろんな人に一緒に歌って欲しいと思った。だから初めて楽譜を配るようにした。この歌は私なりの大震災を忘れないという決意。この歌を歌うことで東日本を忘れない、ずっと東日本を応援していくという決意。押し付けがましいのは否定してきたが、この歌だけはずっとずっとできるだけ多くの人に届けていきたい。来年は、今年参加したア−ティストみんなで企画してまた何かやろう、ずっと、長くやり続けよう。そう確認し合っている。

(H23.5.12)

 H23
6月

 人は誰かのために生きている

♪ぼくたちはCDできました
 東日本大震災の応援ソング「♪ぼくたちは」のCDができました。4月17日全国一斉コンサ−トの主催者である山形県の須貝智郎さんから全国の歌を集めた応援CDを作成するのでデ−タを送って欲しいという要請に応えてです。何人からあの歌が欲しいという要望も聞いていたので合わせて、ザわたしたちで録音をしました。私は不在だったのですが、ひとりひとりが一生懸命取り組んでくれて出来あがりました。そのプロセスでは、1曲にかける想いがぶつかって熱い葛藤があったりもしました。が、逆に熱い想いをかけることのできるメンバ−が誇りだとも思います。数日して須貝智郎さんからいい曲だと絶賛のお電話をいただきました。私の手から離れた所での出来事でしたが、逆にだからこそ幸せな気持ちになれたともいえることでした。

♪2010チャレンジ体験スク−ル保護者の声
 毎年5月〜翌年の3月までおよそ1年をかけて小学校1年生〜高校生までを対象にした体験活動プログラム「チャレンジ体験スク−ル」。社会人&大学生のボランティアスタッフ30名で実施しています。2010年度終了後、継続の意思表示をしたら70%。これはかなり嬉しい。その上、保護者のアンケ−トでも満足度合いで満点をいただいたのが75%。中には私たちが目指している子どもの成長をしっかり評価していただいたり、スタッフの姿勢と努力を認めていただいていたり、細かい配慮にも気づいていただいていたり・・・・胸が熱くなりました。見てくれている人がいる。認めてくれる人がいる。何よりの力になります

♪生活不活発病
 東日本大震災の被災地で高齢者の介護認定要請が急上昇しているとニュ−スが伝えていました。その原因の多くは生活不活発病です。医学的には廃用症候群といわれるもので、動かないことにより心身の機能が低下していくのです。「なぜ動かないのですか?」とインタビュ−された高齢者の方が「やることがないから」と答えていました。研究している学者も「動きたくなる楽しいと思う活動を持つこと」「役立ち感が持てる役割を持つこと」の2つが必要と言っていました。自分のためだけに動くことは長くは続きません。やはり、「誰かに必要とされる」それがキ−ワ−ドなのでしょう。
                                                   (2011.6.6)

 H23
7月
 
 

私の指針となる3つのことば

@誰のために何のために
 体験をベ−スとした自己成長の手法「体験学習」の師である三宝裕さんから学んだ本質的な考え方です。仕事でも活動でも私生活でもいつもこのことばが心の真ん中にあります。迷った時も「誰のためにやろうとしたか」「何のためにやろうとしたか」この2つに立ち戻るようにします。上手くいかない時はこの2つがズレていることが多いのです。6月26日日に実施した「元気顔ガオ−コンサ−ト」今年初めて「広島市森林公園」と「森のようちえん」との共催でやりました。これまで長い間室内開催でメンバ−の声かけを中心として参加者を集めていました。「より多くのファミリ−に」「いろいろな音楽表現を楽しんでいただく」そのために、もっと広く発信する必要があると考えました。コンサ−トを超えたコンサ−ト。ひとつの社会運動へのステップになったと自負しています。

A気配りの前に目配り 
 ある有名ホテルの経営者のトップである社長のことばです。気配りというのは目配り+創造力。「お客様の荷物をお持ちする」というのは「お客様が荷物を持たれている」と気付き「重そうだから持って差し上げると楽になられるのでは」と想像し、それを行動に移すというステップから成り立っています。これを「お客様が来られたら荷物をお持ちする」という行動だけで捉えるとマニュアルになってしまいます。同じ「荷物を運ぶ」という行動でもそのプロセスがあれば例えば「重そうですが大丈夫ですか?」の心遣いの一言が自然に出てきます。コンサ−トも仕事で指導をする時も参加者の様子を観察して、応じた言動をする。これって私の強みじゃん!と思いました。


B1日に2つ嫌いなことをやる
 ジャニ−ズ事務所の少年隊、東山紀之さんがインタビュ−で応えていたことばです。先輩から嫌いなことを成し得ると心が鍛えられ、自己が磨かれると教わったそうです。そういえば、ウォ−キングを始める前は億劫なのですが、歩いていると気持ちよくなってやってよかったなぁ・・・と思います。逃げたい、面倒な仕事を終えた時のそう快感は言葉になりません。毎日はちょっとできないけど、「嫌いなことをやる」新しい指針に加えます。


                                       HPメール y350924@yahoo.co.jp
                                                         (2011.7.7)


 H23
8月
 
2011夏

大見の新しい祭り
 今年の2月閉校した世羅郡世羅町立大見小学校。毎年開催されていた星空まつり。今年はもうないのかなと思っていたら、何と地域の新たな祭り「よってけえ−祭り」として再出発しました。閉校イベントで1年関わらせていただいて保護者や地域の方々のパワ−は感じていましたが、やはりただもんじゃなかった・・という感じです。やぐらまで出現してあっぱれ。わたしたちへも音頭を創ってと依頼を受け、勝手に「♪大見音頭」と名づけて踊りまでつけて当日披露しました。閉校から4ケ月でここまでされるとは。じっくり考えるより即有言実行。見習わなければ。嬉しい夏でした。

  ♪大見音頭 詞:奥田祐子 曲:小田由美
  1、大見山からよ吹く風に(ア ソレ)そろたそろたよ稲穂がそろた(ア ソレソレソレ)
    今年も育てた自慢の実り 人が大きく見える町大見(大見)大見(大見)人の里
      ソウジャナイカ ソウジャナイカ  ドントコイ ドントコイ
        ソウジャナイカ ソウジャナイカ  ミンナコイ ミンナコイ
  2、見上げた空のよ星のように(ア ソレ)そろたそろたよ笑顔がそろた(ア ソレソレソレ)
    変わらぬ人情かけ合う声に 人が大きく見える町大見(大見)大見(大見)人の里
     ※くりかえし
  3、すんだ流れによ魚がはねる(ア ソレ)そろたそろたよ元気がそろた(ア ソレソレソレ)
    豊かないのちをあしたへつなぐ 人が大きく見える町大見(大見)大見(大見)人の里

     ※くりかえし


母への想い
 突然兄から電話がかかり、母が入院、手術を受けると連絡。予定していた日がズレて手術当日に兄が休めないので急遽私にSOSを求めてきたのです。「何で早く連絡しなかったのか」と怒る私に母が「あなたはいつも忙しくて大変だから余計な心配をかけたくなかった」そこまで心配かけていたのかと何か切なくなりました。手術も成功し、思ったより早く退院できたのですが、おかげで毎日母の顔が見れ、孫の顔も見せれてちょっと得した感じでした。ところが、高齢になり、何かと要領が悪かったり、同じ事を長く話す母にイラっとくる自分を発見し、ついキツイ口調になって・・・・帰りながら反省した苦い夏でした。

8・6に向かって
 今年の8・6はザ・わたしたちを創めて、初の8・6その日に歌います。広島市森林公園の夕方からのコンサ−ト。森メイトの山本恵由美さんからお声をかけていただきました。私にとっては大きな大切な日。早朝、子どもたちと平和公園に出向き、2泊のキャンプに入って、夕方抜けてステ−ジに立ち、再びキャンプへ戻る。大きな意味ある夏です。
                               (2011.8.1)


H23
9月
 
 
ホスピタリティ再認識

※ホスピタリティとは相手の気持ちや考えをわかろうとして、相手が心地よくなる言動をすること。

@交通事故
 8月23日に高速1号線のトンネル内で追突事故に遭った。愛車のデミオは廃車せざる得なくなったものの、私は外傷はなかった。ただ、動かないということはないものの首と肩に痛みとコリがあり毎日通院している。この時一番嬉しかったのは自動車保険会社の対応。すぐかけつけてくれて、いろいろな対応はもちろん、病院にまで連れて行ってくれた。本当に心強かった。以前の保険会社は事故処理の
電話だけで、私の方が悪いと説教までされ、現在の保険会社に変えた経験があったので特に感動した。この保険会社でよかったと思った。

 追突した車の運転手の人は、すぐさま自分の身分を証明する職場の名刺を渡してくださって、体を十分治してくださいと誠意を見せてくださった。すごく安心した。中には、しぶしぶという感じや立腹する人もいるらしい。この方に迷惑かけたくないなとすごく思った。
 新しい車を見つける時に嬉しかったのは、車をお願いすることになった会社。高いものを売ろうというのではなく、購入者の立場に立って最も適している車を選ぼうという姿勢がわかった。ちなみにこの会社はお客が駐車場に着くと出迎え、雨の日には傘を用意、それはどの会社でもあるらしいが、送りの時、ふとル−ムミラ−を見たら、見えなくなるまで立って見送ってくれていた。条件はもちろんだけど、この会社で購入したいと思った。


Aキャンドルのロウ事故
 初めての8月6日原爆記念日のコンサ−トは自分へのいましめのコンサ−トとなった。演出で考えていたキャンドルサ−ビスで参加した子どもたちの手や足に持ってくれたキャンドルのロウがこぼれたのだ。コンサ−トを進めながら、冷水や氷で冷やす応急処置をし、やけどもなく、事なきを得た。終了して、ごまかさない・逃げない・最大限出来ることをやる。腹をくくってその場におられなかった保護者を探して経過を説明、病院への搬送の提案や私の名刺を渡そうとしたら大丈夫ですと笑っていただいた。ごまかさず、最大限できることをプログラムのことが優先で安全への配慮が足りなかったと大反省。主宰という2文字の責任の重さも初めてわかった気がする。


B友人の闘病
 古くからのレクリ−ション仲間が突然倒れた。1週間前に会ったばかりだった。とにかく心配だけど何もできない。友人の家族もお見舞いに来てもらうと友人が疲れるので来ないで欲しいという気持ちなのだ。何かをしたい、お見舞いに行きたいというのは私の気持ちで、友人や友人の家族のためにはならない。そんな状況下でも友人や友人の家族と面会している人もいる。私とその人の差はきっと信頼の差なのだろう。
                                  (2011.9.3)

 H23
11月
 
 
目からウロコの情報

@セロトニン
 
 東邦大学の有田秀穂先生の講演を聴いた。脳内神経伝達物質セロトニンの話。脳にはこころに関係ある3色の脳内神経伝達物質があり、嬉しいことや興奮すると分泌されるド−パミン(赤)と
不快感を感じたりいらいらすると分泌されるノルアドレナリン(青)その2つが過剰に分泌されるのを抑え、安定させるセロトニン(緑)。セロトニンはこころだけでなく、からだにも影響していて、消化器官にも多く存在しているので、内臓の働きに大きく関わっているし、夜になると睡眠物質メラトニンに変化して睡眠を促したり、肥満を制御したりもするらしい。健康な日常生活に欠かせないホルモンなのだ。セロトニンをたくさん出すには太陽の光・リズム運動・ふれあいがいいとのこと。認知症の方が抱える周辺症状の緩和にもいいというのも納得。わが身をふりかえると、音楽活動・レクリエ−ション・ケアビクス・・・私がやってることはセロトニンが出ることばかりじゃん。と思う反面、セロトニンの天敵がストレスだと聞いて、何かとストレス多いのでプラスマイナスゼロ?

Aホモ・サピエンス
 
 私たちは36億年かけて進化してきた。そのことは知っていた。だけど進化ということは、
種の生命のリレ−のために襲ってくる困難な環境に対応して変化していくことだと認識した。そうして、私たち人類は「2足歩行」「大きな脳」「言葉」という3つを進化させた。でも、テレビで聞いたネアンデルタ−ル人が、私たちの直接の祖先である原生人類、ホモ・サピエンスより10万年前に出現した人類で、私たちと変わらない能力を持ちながら絶滅したということは初めて知った。同じ人類でもなぜ、私たちは絶滅しなかったのか。それは、言葉の能力の差だと言われていることも初めて知った。私たちが絶滅しなかったのは、高い言語能力によって社会を形成できたからなのだと。そして地球の歴史からみれば超高速で文明を築いてしまい、私たちだけでなく、地球に住む他の生命の生存さえ脅かしている。私たち自身が種の生命のリレ−のために襲ってくる困難な環境になっている。それに対応して変化していくことそれが進化ならば、私たちは新たな進化が必要ということになる。

Bレクリエ−ション運動の火を消さない
 
 広島県レクリエ−ション協会の4つの地区の代表がこれからのレクリエ−ション運動のキ−ワ−ドについて出し合ったレクリエ−ション研究大会。その時「県北レクリエ−ション協会の火を消さないで次の世代につなげること」竹岡美穂さんの言葉にハッと気がついた。レクリエ−ションの火は消えてはいない。現に仕事で関わっている福祉の現場には本気の若者が悩みながらも活き活きと頑張っているし、子どもたちの体験活動にはたくさんの子どもたちと本気のスタッフがこれまた活き活きといる。第一私はレクリエ−ションを仕事にしている。火が消えかけているのは、運動を推進する組織体。私はひろしまも県北もレクリエ−ション協会が大好きだし、必要だと思っている。「レクリエ−ション運動の火を消さない。」私は私のできることをやろうと決めた。

                               (2011.11.4)

 H23
12月
 
 

 変わることなく変わり続ける
 11月23日のコンサ−トが終わった。年々シビアになっていく自分と必要以上に力を入れなくてやれている自分を感じている。譲れないところと譲れるところも見えてきた。27年目に突入してやっと手にできたものもある。その1つが27年目にしてメンバ−との関係も一番いい感じと実感している。私もそうだがメンバ−も本当に無駄が削がれて全てのパ−トが高まってきた。ザ・わたしたちはどこまで行くのだろう。自分でもすごく楽しみ

 わたしたちの使命
 わたしたちがずっと伝え続けてきて、これからも伝えつづけていくものそれはヒロシマ。そして、今年、新たにもうひとつヒュ−マンソンググル−プという名前どおりいのちと向かい合う3・11東日本大震災の被災地を応援し続けるが加わった。今年は現在広島に住んでおられる被災者の方々にご招待の案内をさせてもらった。全国一斉の支援コンサ−トのつながりで山形の須貝智郎さんにも特別ゲストで来ていただけた。来年の3・11も可笑屋さんで支援コンサ−トをやる。3・11を忘れないこと。いつも心のどこかに東北があること。ライフワ−クにしていく。

 須貝智郎さんのすごさ
 ほとんど交通費だけで1曲を歌いにかけつけてくださったこと。会場に来るなり、メンバ−の子どもたちとすぐ仲良くなったこと。マイク無しで歌われたこと。うちのコンサ−トの様子を見てメニュ−を変更されたこと。ステ−ジから会場の一人ひとりのお客さんの姿を見ていて、和田芳治さんのことを話すと座っていた位置を言われただものではないと思ったと言われたこと。打ち上げの時すべてのテ−ブルを回ってスタッフやメンバ−と話わされていたこと。2月のふるさとコンサ−トのゲストにも決まった。奥さんと来られるとのこと。めちゃくちゃ楽しみだ。

 私がいなくなったら
 打ち上げで、中本里香や松本幸子に初めてこう伝えた。「私や文さんがいなくなったら自分たちで思うとおりいけばいい。それはザ・わたしたちでなくていいということ。自分たちがいいと思うやり方でやればいい。」ザ・わたしたちの名前が残ることが大切なのではなく、いのちと向かい合うというその姿勢と言動が大切。彼女たちの中にザ・わたしたちは流れつづけていく。

 私の壁は私
 私はあと何年歌えるのだろう。私の芯は変わらないけどもっとカラを破りたい。私にできないことをやれるメンバ−の力を集めるだけでなく、私が今の私をもっと超えたい。そしてもっと楽しんでもっと喜んでもらいたい。さあ、次は何を創ろうか・・・・。
                                                          (2011.12.2)

H24

1月
 
 

 2012年の年頭に「いのちの重み」


私は自分ではいのちの重みを誰よりわかっているつもりだった。

けれど、それはつもりだった。

2011年ほどいのちについて自分のこととして身近に考えたことはない。

311の東日本大震災、両親の入院、自分の交通事故、健康、そして一時でも預からせていただいている子どものいのち。

いのちは誰もがいつかは終わってしまうもの。いのちは一瞬にしてなくなってしまうもの。いのちは二度と取り戻せないもの。

やがて別れなければならないと私のいのちも永遠ではないと受け入れた年でもあった。

突然思いもよらぬことで終わらなければならなかったいのちへの切なさ、絶望で身を切るような体験をした。そしていのちの神々しさを知った。そんな2011年を忘れない。2011年のこの出来事を想いを私の芯に刻んで2012年を生きる。


いっぽ
一歩から
いちにち
一日から
ひとり
一人から
ひとつを大切に
ひとつを積み重ねていく
(チャレンジのみんなで作ったツリ−)

                                                         (2012.1.4)

 H24
2月

 

今日を生きる

私の朝は5時30分に始まる。息子が中学校の運動クラブに所属しているため朝の練習に出かけるからだ。娘の弁当づくりと合わせたらこの時間でないと間に合わない。それから日によって13ケ所高齢者施設や重症障がい者施設の利用者の福祉レクリエ−ション支援や職員研修に走り回る。夜、仕事の時は夕食も用意して出かける。1月から広島県の補助金事業も始まり遠出も多くなった。子どもたちを対象としたチャレンジ体験スク−ルや介護予防のためのケアビクスの支導、そしてザ・わたしたちの活動とフル回転だ。仕事は実際現場に行くだけでなく、資料を作ったり、道具を用意したりも結構時間が必要。その上、娘の大学受験や息子の学校・クラブ・塾と鬼母ぶりも加わってテンヤワンヤ。手抜きをせず走りぬけている。元気の元は昼15分程度の仮眠。移動の車を止めて爆睡する。昨日などは、15分してハッと目が覚めたらどこにいるのか一瞬わからなくなる程熟睡していた。

人は必ず死ぬ。私のできることなど限られている。その限られた中でどこまで何ができるかやれるところまでやってみたい。
レクソングセミナ−・チャレンジ体験スク−ル最終回。
私ひとりでは到底できないことを志を共にする仲間の力で実現させている。
私が創ったもので、たくさんの人が喜んでくれている。本当に幸せだ。
安定なんてまったくない。昨日と同じじゃ嫌な私がいる。忙しいって心が亡くなると書くけど、こぼしていることも多い。例えば父の見舞い、娘や息子とゆっくり話すこと。
昨年来、内臓のポリ−プを2つとった。子宮と大腸。残るポリ−プは声帯。
性格のポリ−プは直らないので、毒舌をはきながら、今日を精一杯歩く。
                            (H24.2.1)

 H24
4月
 


 20124月「出発」

 2012年度がスタ−トした。
 個人的に一番大きなスタ−トは娘の大学入学と寮生活のスタ−ト。何もかも初めてのことで私もドキドキ。小学校入学後の初登校の朝、大きなランドセルを背負い一人で学校に行く後姿を泣きながら見送った日のことを思い出した。当時、娘はかなり不安そうだった。違うのは寮生活2日目にしてルンルンだということ。私といえば、自分でも意外だったのだが3月終わりから毎日メソメソ結構涙ぐんでいる。車で1時間かからない場所だし、携帯で連絡もつくし・・なのに・・・。私が高校で初めて親元を離れた時の親の気持ちもこんなだったのかなと不思議な感じ。

 大切な友人が小学校の校長になった。本当にすごい人なのでさすがという感じなのだが、もらったメ−ルに「安定して動けるよう努力あるのみ!」の一文。これ以上努力って?と絶句した。数年前に広島市内の小学校へチラシを持参し回っていた。受け取ってもらうのに苦労したっけ。今、回ったら、学校の顔として何人の友人・知人に逢えるだろう。確実に学校は変わっていくのだとワクワクした。(チラシも即受け取ってもらえる()
 奈良でユネスコの活動をしている友人が来広してくれた。何年も続けてチャレンジ体験スク−ルのキャンプなどを手伝ってくれている。今春、社会人になるので、その前にどうしても逢って話したいと来てくれたのだ。薬剤師として病院に勤務しながら活動を続けていくという。すごく楽しみ。わざわざ逢いに来てくれた気持ちにホカホカとなった。

 3月11日。東日本大震災復興#2支援コンサ−トを可部町の可笑屋さんで開催した。出演バンド9組。昨年からのグル−プもかなりレベルアップされているし、新しいグル−プも4組。同時に被災地の写真展のグル−プも初参加してくださった。中にYMCA専門学校時代の生徒が主宰する社会福祉従事者のバンドもあり、大きく成長している姿に嬉しい驚きもあった。地元可部町カラ−突出していて新しい運動への手応えを感じた。

 3月の終わり、チャレンジ体験スク−ルで庄原と三次に行った。里山遊びと題して和田芳治さんに完全に仕切ってもらってエコスト−ブを作ったり、御餅をついたり子どもたちは大満足。和田芳治さんは里山というキ−ワ−ドを手にして更にパワ−アップし続けている。田中一裕さんは還暦を迎え、燻製や竹トンボを初めとする手仕事で自分の世界を確立されている。先日の祝いでも1時間の歌&ト−クに感動した。本当にいい歌を創られていると再認識。翌日行った三次市の平田観光農園。10年前まで夏にファミリ−キャンプを実施させてもらっていた。社長がお父さんからお兄ちゃんに世代交代していて新しい農園を感じた。


 出発・・・・しゅっぱつ・たびだち・はじまり・・・・。

 私の出発は、確実に元気で人生を送れる時間は限られていると実感している現在、まるっきり新しくではなくこれまでの蓄積したものを基盤に質を、そして社会的価値を高めることになっていくのだろう。
                                                            (H24.4.4)




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